美空ひばりとおばあちゃん、そして孫へ
東京は1日雨が降っていた。夜、僕は友達とラーメンを食べに行った。別れたあと、1人遠回りして散歩して帰った。夏がくる感じの気温。少しジメジメしてる。近いうち、東京も梅雨になる。今年も呼吸するように、当たり前に。
BGMはSpotifyで適当に流して散歩した。すると、美空ひばりが流れてきた。美空ひばりを聴くと1番最初に想い出すのは、僕のおばあちゃんだ。
僕は、幼少期、おばあちゃん家によく預けられていた。おばあちゃん家は、僕を王様にしてくれる。お腹一杯と言っても、近所のおばちゃんからもらったリンゴが出てきたり、おばあちゃんのポタポタ焼きのせんべいが出てきたりした。いつだって、僕に優しくしてくれた。よく、親の言うことは、ちゃんと聞くようにと言われた。幼い僕は、ずっと、頷いていた。おばあちゃんは、人が好きだった。デパートまで買い物に一緒にいくと、エレベーターで一緒になっただけで、知らない人に話しかけて仲良くなったりした。僕は社交的で、誰にでもキャッチーな、おばあちゃんが大好きだ。
ある日、おばあちゃんと2人で古ぼけた黒い小さなブラウン管のテレビで歌番組を観ていた。そこで、美空ひばりが川の流れのようにと愛燦燦を歌った。
僕は、小さいながら、すげー良い曲だなとブチ上がった。そしてブラウン管の画面を夢中になって眺めた。美空ひばりが歌い終わってCMになった。
おばあちゃんの方をチラッとみたら、おばあちゃんの目から涙が出ていた。
「おばあちゃん泣いてるの?」
おばあちゃんは「なんだかわかんないけど、涙が出てくるのよ。歳なのかしら?最近、涙もろくてね」と答えた。
僕は、なんて言葉をかけていいかわからずに、ただ、部屋の片隅にあったティッシュBOXを渡した。
歌のチカラって凄いなと思った。
おばあちゃんは、僕が大きくなってから亡くなった。なんでもない、当たり前の日だった。電車に乗った僕のスマホがなった。父からだった。おばあちゃんが亡くなったとの知らせだった。頭が真っ白になった。
今年、親族で七回忌をやった。
今でも、美空ひばりを聴くたびに、あの歌番組を一緒にみた光景が蘇る。
美空ひばりの歌の中に、おばあちゃんがいるかのように。
そして、2014年、おばあちゃんの曲をつくった。孫って曲だ。ライブでは、なるべく歌うようにしてる。それほど、僕にとって大切な曲。
バカにされても、褒められても。この曲があるかぎり、僕は大丈夫だと思っている。